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中学時代の自分は何だったのだろうか。
小学校の後半から学校に行かなくなった。その続きで中学校もほとんど行っていない。学校に行っても、ただ毎日「同じ時間」が過ぎていくのをじっと「待っている」だけだった。
学校とは何なのだろう。
学校そのものに何の意味があるのだろうか。世間は学校に行くことに価値があると言う。世間的には学校に行かない者は駄目な人間のように言う。しかし自分はその中に価値を見いだせなかった。
しかし、勉強することには価値を感じていた。
そう思っていたから、学校に行っている誰にも勉強では負けたくなかった。だから、学校に行かなかったが勉強だけはした。
しかし、ただ一人勉強する毎日は苦痛だった。どんなに頑張ったところで、誰も評価してくれない。学校に行っている奴よりも努力しているのに、人からの応援もないし、期待もない。誰も褒めてくれる人はいない。「やってて良かった」と思える時が来ることを、皆から「凄い」と言われる時が来ることを期待して、勉強を続ける毎日だった。やりがいが全くない毎日だった。毎日が本当に退屈だった。
自分しかいない部屋。
そこにずっと一人でいると、心は段々とマイナスに動くものだ。「学校には行かない」と決めて、部屋に籠もっている自分を自己批判するようになった。そうすると、当然自信がぐらつく。「勉強したって無駄だ。何をやっても無駄だ」と思う様になってしまった。そんな自分がかろうじて乗り切れたのは、友達の救いの手だった。
家の近くに小学校時代からの友達がいた。彼は学校からの帰りに毎日寄ってくれた。学校からの手紙等も届けてくれた。そして、彼と一緒に自転車であちこち出掛けた。
この時間だけが唯一の楽しみだった。
時間がある日には遠出もした。こんな遠くまで来たと思うとついつい人に自慢したくなる。それも自分の中だけの喜びだったが、今思い返せばそれが自分を支えていたと思う。
日生学園に入学して、早くも1年が経つ。この1年は自分の人生にとって、最も多くの体験をした時間だと思う。寮生活の中で、クラスの活動の中で、毎日多くのことが起こった。学校生活って結構大変だし、楽しいものなのだと分かった。
中学校時代と同じように、勉強をしている。
だけど場所が違う。
一人しかいなかったあの時とは違う。多くの人がいる。会話がある。日ごとに仲良くなる友達がいる。横で必死に勉強しているライバルがいる。
単に友達が自分の心の中に居るだけではない。友達の中にも自分が居ることが分かる。周りの多くの人の中に自分が居る。応援してくれる。期待してくれている。褒めてくれる。周りに心を通じ合える人の居ることの重要性を感じる。
日生学園には、自分に自信を持つことのできる場所や機会が沢山ある。だから喜びがあり、やりがいがあり、誇りがある。目標がある。
昔とは違う自分がある。
閉じこもっていない。昔には戻りたくない。しかし、今の自分が良いとは言えない。直ぐにはこの自分を変えられるとは思わない。しかし、今の自分は小さすぎる。もっと大きな人間になれるはずだ。それができる場所に今自分はいるのだから。
1年間でここまで変わった。
しかし、これが本当の自分だとは未だ思えない。できない事がまだまだ沢山ある。しかし、この1年間で前向きにやっていく姿勢だけは手に入れた。これさえあれば、自分の中の本当の力を出せるようになれると確信している。自分は何かをつかんでみせる。
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